No.番外:運動会の雨
「いつもの雑踏 いつもの場所で」
- 脚本家・山田太一著 / 1985年冬樹社刊
○知っている子どものいない小学校の運動会にでかけたことがある。
テント下の校長の横に座っていたがこれはあまり面白いものではない。例えば、綱引きを見ていてもどっちを応援するということもないのだから自分の子がその中にいる時とは熱度が違う概して退屈で、あといくつで終わるかとプログラムの残りの種目を何度も数えていた。
○午後になり、ようやく六つぐらいというあたりで薄日がさしていた空がみるみる暗くなり「おやぁ?」などと言っているうちに雨が落ちはじめあっという間に土砂降りになった。
○銃弾を避けるように人々が走りたちまち誰もいないグラウンドに雨ばかりがしぶきをあげ一向にやみそうもない。「全員教室に入りました」と若い先生がびしょ濡れで走ってくる。テント下は、PTA役員、来賓、父兄などでぎっしりである。校長とマイクのかたわらの教頭は立ったまま雨を見ている。テントの端からポタポタと雨が落ちている。「すぐやむ雨じゃないねぇ」と誰かが言う。私にもそう思えた。
○「最後のリレーだけやろう」と校長先生が、決心したように教頭に言った。
1年生から6年生までの選手で走るリレーである。雨の中のリレーである。ころぶ子が何人もいて、ころばなかった子も泥まみれでだが、素晴らしいレースだった。涙をふく大人が何人もいた。
○終わって全員が雨の中に整列し同じくずぶ濡れの校長が閉会の挨拶をした。あとで考えると不思議なくらい大きな感動がグラウンドに満ちた。さっきまでの退屈な運動会が噓のようだった。あとで校長が「生徒もあの運動会は忘れないでしょう」と言った。
○雨は運動会にはもちろん不都合である。誰だって雨は避けようと思う。しかし避けられたから万事よかったかというとそういったものでもない。不運にも雨に降られてしまった運動会が晴天で支障のなかった運動会よりはるかに心に残るということがあるのである。
○その時のリレーにしてもころばずに一番で走った子どもたちより二度もころんでひきはなされてそれでも走った泥まみれの生徒の方が印象を残している。
○小さな体験から、おおげさなことを言うようだが支障というものは避けられればいいというものではない。不都合や支障が、どれほど私たちを豊かにしたり深めてくれたりしているかわからないというようなことを思うのである。
⇒不都合から逃げない。支障から目をそむけない。
そして取り組んだ結果、たとえ上手にいかなくてもそこに何かがあるように思うのは、小生が古い人間だからでしょうか・・・。
⇒37年前の本です。2022年の小学校では、絶対無理な行動でしょうね。
ちなみに、今の小学校の運動会は、短縮化され午前中で終わります。
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