いまロード中

No.0727:有限だからこそ命は輝く

No.0727:有限だからこそ命は輝く


「音楽と生命」音楽家故坂本龍一氏と大学教授の福岡伸一氏の対談本。集英社刊。
(Amazonサイトへ)

  • 坂本龍一
    •  音楽家
    • 1952年東京生まれ。1978年「千のナイフ」でソロデビュー
    • 同年「YELLOW MAGIC ORCHSTRA(YMO)」を結成
    • 映画「戦場のメリークリスマス」で英アカデミー賞作曲賞。映画「ラストエンペラー」でアカデミーオリジナル音楽作曲賞
    • グラミー賞ほか受賞
  • 福岡伸一
    • 1959年東京生まれ
    • 京都大学卒・同大学院博士課程修了
    • ハーバート大学研究員・米国ロックフェラー大学客員教授
    • サントリー学芸賞を受賞した
    • 「生物と微生物のあいだ」 “生命とは何か”を問い直した著作多数

■2024年あけましておめでとうございます!
鳥山です。2024年(令和6 年)最初の「でんごんばん」をお届けいたします。
今週は、「音楽と生命」音楽家・故坂本龍一氏と大学教授の福岡伸一氏の対談本。
集英社刊。「世界のひずみに目を向け新たな思想を求めて行った対話の記録」から。

■坂本龍一。音楽家東京生まれ。1952年~2023年3月没。
1978年「千のナイフ」でソロデビュー。同年「YELLOW MAGIC ORCHSTRA(YMO)」を結成。映画「戦場のメリークリスマス」で英国アカデミー賞作曲賞。
映画「ラストエンペラー」でアカデミーオリジナル音楽作曲賞。グラミー賞ほか受賞。

■福岡伸一。1959年東京生まれ。京都大学卒・同大学院博士課程修了。 
ハーバート大学研究員・米国ロックフェラー大学客員教授。サントリー学芸賞を受賞した「生物と微生物のあいだ」。(講談社現代新書)“生命とは何か”を問い直した著作多数。



有限だからこそ命は輝く


(坂本)福岡さんとの対談は、最終的に一つの話題に収斂(しゅうれん)していきます。
ロゴスとピュシスの対立というものです。
簡単に言うなら、ロゴスとは人間の考え方、言葉、論理といったものでピュシスとは我々の存在を含めた自然そのものと言ってよいでしょう。

(福岡)私は、本当は、ファーブルやドリトル先生にあこがれ自然(ピュシス)の歌に耳を澄ませ、自然(ピュシス)の精妙さに目を見張ることから出発して、生物学者を目指したはずなのにいつしか実験動物を殺(あや)め、細胞をすり潰し遺伝子を組み替えることに邁進していた。
操作的に生命を扱い、要素還元主義的に生命を解析していた。
生物学ではなく、死物学を究めようとしていた。

(坂本)たとえば犬の鳴き声です。
正確には犬たちはそれぞれ異なる泣き方をしているのですが仮に世界中の犬の鳴き声というものが共通にあるとして各言語でオノマトペの表し方は違うわけですね。

英語ではバウワウ、フランス語でワフワフ、イタリア語でバウバウ。
でも、僕は日本にいてもアメリカで犬の鳴き声を聞いても両方ワンワンと聞こえます。
理性的にはそれが間違っているということはわかるんですがどうしてもワンワンと聞こえてしまうんです。
僕にとっては、世界のどこで聞こうが犬はワンワンと鳴いているわけです。

⇒「認識の牢屋(ろうや)」ですね。


(坂本)フェノロサは、英語も含めたヨーロッパの言語と漢字を使う中国語や日本語といったアジア言語との大きな違いを考察しているのですが、とても説得力があります。

たとえば、英語的な思考方法ではまず単語があって、“AisB”のように動詞を、糊(のり)にし、名詞をレンガ積みのようにつないでいくと、どんなことでも表現できる。

便利は便利なんですけれども、それが真実を表していることにならないと、フェノロサは述べています。

彼は、漢字というものが、いかにそういうリジッド(固定化された)な思考から離れて、流動的な自然を表し、保持しているかということに着目し、いろいろな例を挙げているんですね。

(坂本)名詞を使うのを辞めてみようと、一日、努力したことがあります。


(福岡)すごい実験をされましたね。(笑)


(坂本)やってはみたものの、これはほとんど不可能でもう一秒も持ちませんでした。もちろん話もできないし、考えることすら難しい。

たとえば、空に浮かぶ雲を見て、「あの雲を表現してみよう」とか「あの雲はどうしてあそこにあるんだろう」と考えること自体いくつも名詞を使っているわけですよね。
名詞を使わないとすれば僕たちは思考さえままならないし一歩も先に行けない。人間がいかに名詞に縛られているかということが、よくわかります。

(坂本)音楽というものも一回限りのものです。一方、楽譜は一回性を否定するものなんですね。つまり、どこの国の、どんな文化的背景の人間が見てもその通りに弾けば同じ音が鳴るはずだという信念のもとに楽譜というのもが作り上げられてきました。

そうやって地方性を否定しただけではなく100年経っても同じ音がしなければならない。
つまり物理的な時間も乗り越えるという非常に強いロゴスで進んできたシステムなんですね。
楽譜というシステムはそうだとしてもそこに書かれているものが演奏されて
音楽になった場合には一回限りの演奏で空気の振動になって消えてしまいます。
生命現象も、この一回限りの今起こっているということで音楽と同じわけですね。

(坂本)僕自身も、以前は少し楽譜万能主義のようなところがありました。
でも、少しづつ考え方が変わってきたんですね。
楽譜万能主義が間違いだということに気がついたのはある素晴らしい演奏家が、僕が作ったばかりの曲を目の前で弾いてくださったときでした。

彼女の演奏によって、楽譜の中に小宇宙を作ったはずの僕自身が想定したものと違う、より素晴らしい音楽の宇宙が生まれたんです。

「そうか、音楽という小宇宙を作るのは作曲家だけではなくて演奏家も同じように作るし、あるいは作曲家以上に美しく作ることがあるんだ」と衝撃を受け、以来、根本的に考え方が変わりました。

それから数年経って、今度は「聴く人がいなければ、音楽は本当には成立しないのではないか」ということに気づいたんです。
僕が若いころの現代音楽では、聴かせないというか聴衆のことなんて考えないという態度の方が芸術家らしくてかっこいい、という空気がありました。

それが変わったのは、「聴く」ということが音楽の重要な要素なんだと強く意識するようになったからなんですよね。

音楽の円環(えんかん)(相互が原因でも結果でもあるという関係。卵と鶏の関係にあたる)というものは、楽譜を書く人、演奏する人聴く人がいて初めて成り立つわけで、ずいぶん時間はかかりましたが、そんな当たり前のことにやっと気がつくことができたんですね」

(福岡)個体の生命が有限であることがすべての文化的、芸術的、あるいは学術的な活動のモチベーションになっています。有限であるからこそいのちは輝く。このようにして生命系全体は、連綿と続いてきたし、これからも、続き得るのだと思います。

(坂本)どこがゴールか一歩踏み出さないとわからない。
それがある日「あっ、これがゴールだ」と実感した瞬間があって、今まで見えていなかった次の山が見えた。「ここで終わりじゃないんだ、次はそこに行かなければいけないんだ」と思いました。

ファーブルの言葉
「あなた方は虫の腹を裂いておられる。
だが私は生きた虫を研究しているのです。

あなた方は虫を残酷な目に合わせ、嫌な、哀れむべきものにしておられる。
私は虫を愛すべきものにしてやるのです。

あなた方は研究室で虫に拷問をかけ、細(こま)切(ぎ)れにしておられるが私は青空の下で、セミの歌を聞きながら観察しています。

あなた方は薬品を使って細胞や原形質を調べておられるが私は本能の、もっとも高度な表れ方を研究しています。

あなた方は死を詮索しておられるが、私は生を探っているのです。
(「完訳ファーブル昆虫記第2巻上」2006年)

⇒坂本氏は、本文の中で、「三体」(2019年)という中国のSF小説を面白かったと言っていました。全6冊あるようなので、また読みたい本が増えてしまいました。(笑)
ただ、今年の1月からネットフリックスで放映されるようですが・・・。
今年1年も、お互いに健康で元気に過ごしてまいりましょう。  

次回の「でんごんばん」は、「どう生きるか つらかったときの話をしよう」
宇宙飛行士・野口聡一著。アスコム刊。「後悔なく生きるのは宇宙に行くより難しい」。
お楽しみに。今年もお互いに健康で元気に愉しく過ごしてまいりましょう!!  

コメントを送信