No.0732:直球勝負の老い方指南
今週の「でんごんばん」は
『人はどう老いるのか』医者はホントは知っている。楽な老い方、苦しむ老い方
久坂部羊著
講談社現代新書刊
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- 久坂部羊(くさかべ よう)
- 1955年大阪府生まれ
- 小説家・医師
- 大阪大学医学部卒業
- 大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)で麻酔科医
- 在外公館で医務官として勤務
- 「廃用身」(幻冬舎)で2003年に作家デビュー
- 「祝葬」「MR」等著書多数
- 2014年「悪医」(朝日新聞出版)で第3回日本医療小説大賞を受賞
■著者曰く、「本書はこれから老いる人や、すでに老いている人の中である程度、心に余裕のある人に向けて書きました。余裕はあるけれど老いや死についての心配も絶えない。そんな人に読んでいただければと思います」。
■病気治療や健康に関して、医者が特別な能力を持っていないことは医者なら誰でも知っています。多くの同僚や先輩、後輩が、がんになり脳梗塞になり、パーキンソン病になり、心筋梗塞になり、認知症にもなっているからです。
■NO732「直球勝負の老い方指南」
⇒誰もが「老い」の初心者。大事なのは予習です。
■NO733「医は仁術ではない」
⇒医療も商売(経営)。
■NO734「認知症高齢者に論破される」
⇒吉本新喜劇かいな?
■NO735「アルジャーノンに花束を」
⇒なにが幸せか分かりません。
■NO736「今を味わいましょう」
⇒生涯、準備ばかりをしている?
「でんごんばん」こぼれ話。
- 故日野原重明氏「人はえてして自分の不幸には敏感なものです」。
- ⇒逆に言えば、「幸福には鈍感」ということです。幸福に敏感になろう!
- 死後の世界が存在するなら、はじめの二百年くらいは我慢できるでしょうが二千年、二万年と続くと、退屈のあまり消えてなくなりたくなるのではないでしょうか。それは死に関しても同じでしょう。人はだれでも自分が死ぬことを知っている。だけど、今、死ぬわけではない。そう思っている人は、自分はいつまでも死なないと思っているのと同じだということです。
- だから、多くの人が死が目前に迫ると、想定外の不安に陥り、焦り、動揺し混乱して苦しむのです。では、どうすればいいのか。
- ⇒著者曰く、「うまく老い、上手な最後を迎えるためには、いずれも受け入れることが大切なのですが、それがいちばんむずかしいこともわかっています。そして、優秀だった人ほど、老いを受け入れられない」と。幸い小生は優秀ではないので、すんなりと老いを受け入れられそうですが。(笑)
直球勝負の老い方指南
■上手に老いるには、老いの実例をいろいろ見て参考にするのがいいでしょう。私はもともと外科医でしたが、三十代のはじめにあるきっかけで外務省に入り、医務官という仕事で海外の日本大使館に約九年間、勤務しました。赴任したのはサウジアラビアとオーストラリア、パプアニューギニアの三カ国です。
外務省を辞めて42歳で帰国したとき、これだけブランクがあると、外科医としては使い物にならないのでどうしようかと思っていたとき、医局から紹介されたのが神戸にある老人デイケア(今でいうデイサービス)を併設したクリニックでした。まだ介護保険がはじまる前で老人デイケアも医療保険で行われていました。
■当時、高齢者医療のクリニックで働くのは現役を引退した医者が多く、患者さんも高齢だが医者も高齢というのが通り相場でした。なにしろ高齢者医療は“老い”という治らない症状を相手にするので、やる気のある若い医者や、脂ののったベテランはやりたがらないのも当然でした。
■私も最初は意気が上がらないなと思っていましたが。しかし、実際に勤めはじめると意外な面白さに気づいたのです。外来患者さんはさほど多くありませんでしたが老人デイケアには毎日、40人の“ナマ年寄り”がやってきます。
クリニックに出勤したら、私は送迎バスの降り口で利用者さんを出迎え、外来患者さんがいないときは二階のデイケアルームにあがってデイケアの様子を眺めていました。利用者さんと雑談をしたり、相談を受けたりしながら、密かに観察を続け、その驚くべき“老い”の実態に大いに興味を惹かれました。
■「そんなこと、言うたらいかんの。アンタなんか簡単に死ねんの」ふつう、腹が立ったら、「アンタなんか死ね」というのが罵声となるでしょう。ところが、デイケアでは、「死ねない」というのが意地悪になっていたのです。
■インテリ認知症の女性
Wさん(80歳・女性)は「教育勅語」と「五か条のご誓文」をすべて暗記していました。試しに聞いてみると、「朕おもうにわが皇祖皇宗国をはじむること・・・」「一つ、広く会議を興し、万機公論に決すべし。・・・・」とスラスラ暗唱して見せました。
「すごいですね。それだけ覚えていれば、脳の老化現象は心配ありませんね」と感心すると、「いいえ。昔のことは覚えていますが、昨日のことも忘れますもの。もう立派にボケてますわ」と謙遜しました。
「大丈夫。ほんとうにボケている人は、自分でボケているとは言いませんから」うっかり言ったのが失敗で、その後、Wさんは私と顔を合わせるたびに「私ボケてますから」と繰り返すようになりました。「ボケている」と言えば、ボケていない証(あかし)になると思い込んだようです。
⇒著者曰く、「終末期医療の悲惨さを知れば
過剰な長生きが決して幸せでないことがわかります。
私は長年、高齢者医療に携わってきましたので、ある程度のバリエーションを心得ているつもりです。
うまく老い、上手な最後を迎えるためにはいずれも受け入れることが大切なのですが、それがいちばんむずかしいこともわかっています。そして、優秀だった人ほど、老いを受け入れられない」と。
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