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No.0734:認知症高齢者に論破される

No.0734:認知症高齢者に論破される


今週の「でんごんばん」は
『人はどう老いるのか』医者はホントは知っている。楽な老い方、苦しむ老い方
久坂部羊著
講談社現代新書刊
(Amazonサイトへ)

  • 久坂部羊(くさかべ よう)
    • 1955年大阪府生まれ
    • 小説家・医師
    • 大阪大学医学部卒業
    • 大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)で麻酔科医
    • 在外公館で医務官として勤務
    • 「廃用身」(幻冬舎)で2003年に作家デビュー
    • 「祝葬」「MR」等著書多数
    • 2014年「悪医」(朝日新聞出版)で第3回日本医療小説大賞を受賞

■著者曰く、「本書はこれから老いる人や、すでに老いている人の中である程度、心に余裕のある人に向けて書きました。余裕はあるけれど老いや死についての心配も絶えない。そんな人に読んでいただければと思います」。

■病気治療や健康に関して、医者が特別な能力を持っていないことは医者なら誰でも知っています。多くの同僚や先輩、後輩が、がんになり脳梗塞になり、パーキンソン病になり、心筋梗塞になり、認知症にもなっているからです。

■NO732「直球勝負の老い方指南」
  ⇒誰もが「老い」の初心者。大事なのは予習です。
■NO733「医は仁術ではない」
  ⇒医療も商売(経営)。
■NO734「認知症高齢者に論破される」
  ⇒吉本新喜劇かいな?
■NO735「アルジャーノンに花束を」
  ⇒なにが幸せか分かりません。
■NO736「今を味わいましょう」
  ⇒生涯、準備ばかりをしている?


「でんごんばん」こぼれ話。

  • 故日野原重明氏「人はえてして自分の不幸には敏感なものです」。
    • ⇒逆に言えば、「幸福には鈍感」ということです。幸福に敏感になろう!
  • 死後の世界が存在するなら、はじめの二百年くらいは我慢できるでしょうが二千年、二万年と続くと、退屈のあまり消えてなくなりたくなるのではないでしょうか。それは死に関しても同じでしょう。人はだれでも自分が死ぬことを知っている。だけど、今、死ぬわけではない。そう思っている人は、自分はいつまでも死なないと思っているのと同じだということです。
  • だから、多くの人が死が目前に迫ると、想定外の不安に陥り、焦り、動揺し混乱して苦しむのです。では、どうすればいいのか。
    • ⇒著者曰く、「うまく老い、上手な最後を迎えるためには、いずれも受け入れることが大切なのですが、それがいちばんむずかしいこともわかっています。そして、優秀だった人ほど、老いを受け入れられない」と。幸い小生は優秀ではないので、すんなりと老いを受け入れられそうですが。(笑)

認知症高齢者に論破される


■“怒り型認知症”のUさんは、強度の徘徊(はいかい)高齢者でもありました。プログラムの途中でも、ちょいと退屈すると、帽子をかぶり荷物をまとめ出します。

「どちらへ行かれます」と聞くと、「それを聞かれるとつらい。今日は黙って行かせてください」などと最初はしおらしいのですが、無理に止めるとすぐに怒りのボルテージを上げていきます。

私はUさんに無理なく納得してもらうため玄関に先回りをして、自動扉のスイッチを切ってあらかじめ用意しておいた「故障」と書かれた紙を扉に貼りました。

そこへUさんが看護師長に付き添われて下りてきました。「すみません。自動扉が故障して開かないんです」こう説明すると「故障とは何事や。今朝、ここを通って来たのに、開かんわけはない」と私をにらみつけます。Uさんはかなりの認知症ですが、ときどき鋭いことを言うのです。

「朝は開いていたのですが、さっきから急に故障したようで」と言いながら私が自動扉に近づき、「ほら、開かないでしょう」と開かないことを実証しました。

これで納得するかと思いきや、Uさんは足下の小さなランプが消えているのを指さしてこう言ったのです。「スイッチが切れとるやないか。ワシは電気にかけてはアンタなんかよりよっぽど詳しいのや。こんな子どもだましが通用すると思うとるんか」図星を指され、私は思わず動揺しました。

絶句していると、さらにUさんが言い募ります。「ワシほどの人間が、なんでアンタなんかの言うことを聞かなならんのや」上から目線で言われ、動揺がさらに深まりました。

Uさんが「スイッチを入れろ。スイッチはどこや」と騒ぎだしたので看護師長がUさんの自宅に連絡するため、携帯電話をかけました。

すると、Uさんは、「あっ、またワシの家に電話して、悪いことを言うつもりやな」と看護師長につかみかかろうとしました。以前、Uさんの徘徊(はいかい)がひどかったとき、電話で家族に迎えに来てもらった時のことを思い出したのでしょう。

とっさに間に入って、私はこう言いました。「Uさんの家に電話しているのとちがいます」「何がちがう」「別の家にかけたのです」「ウソつくな」「ウソじゃありません」強弁すると「今、その女がワシの家の名前言うのを、ちゃんと聞いとんのや。ウソを言う方が悪い」と言い返されて、万事休す。かなりの認知症のはずなのに、この理詰めの反撃はいったいどうしたことでしょう。

「ワシは兵庫区でずっと自治会長をやっとたんや。アンタなんかにとやかく言われる筋合いはない」「むかしは自治会長だったかもしれませんが、今は違うでしょう」ついムキになって言い返すと、「いいや。ワシは今でも自治会長や。それを知らん人はおらんはずや」と胸を張るので、私は立場も忘れ、認知症の人相手にダーティーな攻撃に出てしまいました。「それなら今日の日付を言ってください。言えないでしょう。日付も分からない人をだれが自治会長と思うもんですか」これで勝負あったかと思うと、Uさんはこう返してきました。

「日付くらい誰でも知っとる。アンタはそんなこともわからんのか」「ボクは知ってますよ」「知っとたらええやないか。それをワシに聞くのは馬鹿にしとる証拠や」またまた鋭い反撃。返す言葉がありません。思わず「このボケジジイが!」と叫んでしまいそうになりました。看護師長が「先生、落ち着いて」と止めてくれました。

⇒吉本新喜劇かいな?(笑)

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