No.0736:今を味わいましょう
今週の「でんごんばん」は
『人はどう老いるのか』医者はホントは知っている。楽な老い方、苦しむ老い方
久坂部羊著
講談社現代新書刊
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- 久坂部羊(くさかべ よう)
- 1955年大阪府生まれ
- 小説家・医師
- 大阪大学医学部卒業
- 大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)で麻酔科医
- 在外公館で医務官として勤務
- 「廃用身」(幻冬舎)で2003年に作家デビュー
- 「祝葬」「MR」等著書多数
- 2014年「悪医」(朝日新聞出版)で第3回日本医療小説大賞を受賞
■著者曰く、「本書はこれから老いる人や、すでに老いている人の中である程度、心に余裕のある人に向けて書きました。余裕はあるけれど老いや死についての心配も絶えない。そんな人に読んでいただければと思います」。
■病気治療や健康に関して、医者が特別な能力を持っていないことは医者なら誰でも知っています。多くの同僚や先輩、後輩が、がんになり脳梗塞になり、パーキンソン病になり、心筋梗塞になり、認知症にもなっているからです。
■NO732「直球勝負の老い方指南」
⇒誰もが「老い」の初心者。大事なのは予習です。
■NO733「医は仁術ではない」
⇒医療も商売(経営)。
■NO734「認知症高齢者に論破される」
⇒吉本新喜劇かいな?
■NO735「アルジャーノンに花束を」
⇒なにが幸せか分かりません。
■NO736「今を味わいましょう」
⇒生涯、準備ばかりをしている?
「でんごんばん」こぼれ話。
- 故日野原重明氏「人はえてして自分の不幸には敏感なものです」。
- ⇒逆に言えば、「幸福には鈍感」ということです。幸福に敏感になろう!
- 死後の世界が存在するなら、はじめの二百年くらいは我慢できるでしょうが二千年、二万年と続くと、退屈のあまり消えてなくなりたくなるのではないでしょうか。それは死に関しても同じでしょう。人はだれでも自分が死ぬことを知っている。だけど、今、死ぬわけではない。そう思っている人は、自分はいつまでも死なないと思っているのと同じだということです。
- だから、多くの人が死が目前に迫ると、想定外の不安に陥り、焦り、動揺し混乱して苦しむのです。では、どうすればいいのか。
- ⇒著者曰く、「うまく老い、上手な最後を迎えるためには、いずれも受け入れることが大切なのですが、それがいちばんむずかしいこともわかっています。そして、優秀だった人ほど、老いを受け入れられない」と。幸い小生は優秀ではないので、すんなりと老いを受け入れられそうですが。(笑)
今を味わいましょう
■日本人の死因のトップは「悪性新生物」、すなわちがんです。
これだけ医療が発達しているのに、なぜがんで死ぬ人は減らないのかと疑問に思う人もいるかもしれません。
今や日本人の二人に一人はがんとなり、三人に一人はがんで命を落とすと言われていますが、ガンの患者が増え、ガンでなくなる人が多いのは、ほかの病気で死ぬ人が減って、長生きする人が増えたからです。すなわち、今の医療ではがんは老化現象のひとつとも考えられているのです。
がんの原因は、加齢によって何度も細胞分裂を繰り返すから、コピーミスが起きます。ミスの可能性が低くても、繰り返せばいつかミスが起こります。
■医者の希望する死因の一位ががんであることからも分かることですが実はがんで死ぬことは良い面があります。一般の人にはなかなか理解されません。厚労省が勧めるがん検診は、胃、肺、大腸、乳房、子宮頸部の五つだけですが(男性は三つだけ)、ほかにもがんになる臓器は十指に余るほどあります。毎年、まじめに検診を受けていても、ほかのがんになったら悔しい思いに駆られるでしょう。
さらには検査被爆の問題もあります。胸部X線はまだしも、マンモグラフィーや胃のバリウム検査などは、かなりの放射線を浴びます、日本人のがん患者のうち三十人に一人は検査による被ばくが原因と言われております。
■私自身はがん検診は受けたことがありません。妻も同様です。医者の友達にも、がん検診を毎年受けている者はほとんどいません。医者は立場上、がん検診を受けるように勧めますが、自分は受けていない人が多いです。
⇒小生も母社を退社後は、人間ドッグも健康診断も受けたことがありません。妻に至っては、20年以上も健康診断を受けていません。何かあった時のわが家の合言葉は、「寿命だったんだ」です。(笑)
■2023年3月、世界的な音楽家、坂本龍一氏が亡くなりました。享年71歳。多くの人が早すぎるとその死を悼んだことでしょう。報道によれば闘病の最後に家族や医師にこうもらしたそうです。「つらい。もう逝かせてくれ」なんと痛ましいことでしょう。もちろん、本人は生きることを望み、医療関係者も家族もそれに協力したのでしょうが、結果的には坂本氏自身を苦しめることになってしまったようです。
■親の死に目にできるだけの治療をと願い、医者に無用な医療――人工呼吸や心臓マッサージ、点滴や酸素吸入投薬や場合によっては輸血やカウンターショックなど――を頼んだ人は、次に自分が死ぬとき、子どもたちから同じことをされて初めて、ああ、自分は最後の最後に親を苦しめたんだなと気づくでしょうが、手遅れです。
■安楽死法がない日本は、見えない“安楽死禁止法”が布(し)かれているのと同じです。苦しみながら死んでいった人は何も言いません。ムダな苦しみを味わって、悲惨な時間を長引かされてその苦しみを経験していない人たちから「死なないで」などと言われて亡くなった人も、何も言いません。しかし、もし死人に口があれば、あんなに苦しむのなら安楽死させてほしかったという人は、決して少なくないと思います。
■老いの不如意も衰えも、受け入れて付き合っていくしかない。そう思えたら少しは楽になるのにと思います。あきらめの効用です。「明らむ」、すなわち「つまびらかにする」とか、「明らかにする」という意味で仏教では「諦」という文字は「真理・道理」の意味があるそうです。
あきらめきれないのは、状況を明らかにしていない、真理・道理に到達していないということで、だからイライラ、モヤモヤするのです。
毎日、しっかり運動をして、酒、煙草もやらず、夜更かしもせず、栄養のバランスを考えて、刺激物を避け、肥満にも気を付けて、疲れもためず、健康診断や人間ドッグも欠かさず、ストレスもためず、細心の注意で健康に気をつけていても、老化現象は起こります。
■足るを知るで思い出すのが、ある施設に入所していた二人の女性患者さんです。在宅診療で診察していたのですが、一人は診療のたびに「ここの食事はまずい」「部屋が狭くて息が詰まりそうだ」などと不満をもらし、もう一人は「ここの食事はおいしい」「部屋はきれいで気持ちがいい」と喜んでいました。もちろん、二人とも同じ食事を食べ、同じ間取りの居室に入っていました。なぜ、こうも二人の印象がちがったのか。お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、不平を漏らしていた女性は裕福な家の出で、満足していたのはさほど裕福でない家の女性でした。
それまでの暮らしと現状を比較するので、同じ食事、居室でも評価が正反対になったのです。そんな例を見ると、若い時に頑張って裕福な生活を目指すのも善し悪しだなと思います。
■ある短編で、侍役人が猛勉強をして「昌平校(しょうへいこう)」に入り同僚が遊んでいてもまじめに貯金し、結婚もし、家も建て、子どもも大学に入れて、万事、将来の幸福に備えますが臨終の間際にこうつぶやきます。
「わしは少しも幸福(しあわせ)ではなかった」
すると、横に控えた妻がこう言うのです。「あなたは幸福(しあわせ)の準備だけなさったのヨ」(「幸福の甘き香り」より)
なんと含蓄のある言葉でしょう。
将来のことを心配し、病気を心配し、お金のことを心配し、仕事のことを心配して、幸福になるためにあくせくしている人は自分ではそうとは気づかず、“準備”にばかり追われているのです。そしてある日、突然、人生の終わりに立たされて、この侍役人のように「味わうことをわすれていたのか」と嘆息することになります。
⇒今を味わいましょう。
■次週の「でんごんばん」は、「続 窓ぎわのトットちゃん」黒柳徹子著。講談社刊。
国民的ベストセラー待望の続編。みんなが会いたかった「その後」のトットちゃん。泣いたり笑ったりのトットちゃんの青春記。お楽しみに。
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