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No.0712:ディズニ―ランドビジネス

No.0712:ディズニ―ランドビジネス

ウォルト・ディズニー―創造と冒険の生涯

  • ボブ・トマス著
  • 解説・岡田斗司夫ゼミ
    • 岡田斗司夫氏
      • 1958年生れ
      • 日本のプロデユーサー評論家
      • 文筆家
      • (株)オタキング代表取締役。)

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ウォルト・ディズニ―は、なぜ理想の遊園地を作ろうとしたのか

僕らは遊園地というと、子どもと一緒に楽しむ明るくて楽しい場所のように
思うけど、アメリカ人が考える遊園地というのは、遊園地という言葉自体が
なくて、カントリーフェアというように、年に1度くらい来て営業するもの。
その時、町の治安がすごく悪くなる。
そいつらが去ったら、殺人事件もあった、というように。

とにかく、1950年代の遊園地はひどかった。
ウォルトが久しぶりに休暇を取ってでかけた、ニューヨークの
コニーアイランドという遊園地があまりにひどかった。
コニー・アイランドはピノキオでは悪い場所として描かれているし
1970年代の映画でも、遊園地というのは麻薬取引の場所とか
人身売買の取引所とかであまりいいイメージで描かれない。
 
 
●ディズニ―ランドを始めたころ、妻はよくこんなことを言っていました。
「どうして遊園地なんか作りたいの。どこも汚いところばかりじゃない」。
だから妻に説明したんです。
まさにそこだ、私のはそうじゃないんだってね。
なんとかして、子供も楽しめるようにならないか。

⇒いい意味で言えば、ウォルト・ディズニ―の夢。
悪い意味で言えば、ビジネス的才能。

●1953年に、ディズニーランドの予定地を初めて見たウォルトは
「何もない一面の平地で、川も山も、もちろんお城もロケットもない。
ただオレンジの林と、何エーカーかのクルミの木があるばかりだった」。
カリフォルニアのオレンジ郡は日本で言えば辺鄙(へんぴ)な場所である。

1955年7月1日開園した。
開園後もウォルトのディズニー・ランドへの思いは変わらず
時間と知恵と資金をさらに投じてパークの拡張を続けた。
ある要人が、これだけの資金を使えるウォルトは大金持ちに違いないと
信じて本人にそう尋ねたとき、彼はこう答えていた。
「大金持ちでしょうね。何しろ、1000万ドルもの借金を抱えていますから」

●ランドを作るにあたって、ABCテレビにディズニー映画の権利まで売って
お金を借りた。そのため、毎週毎週ディズニーのテレビをやり、ホストに
ウォルトも出ますという、身売りのようなことをした。

1945年10月27日ABC放送で『ディズニーランド』がスタートする。
ディズニー作品が毎週番組で紹介された。
1966年に亡くなるまで、ウォルトは番組の司会者として親しまれた。
温かく優しそうで、ウィットにとんだ人柄。
毎週何百万もの人が見てきたこの印象こそ、人々の心に刻み込まれ
「ウォルトおじさん」(視聴者はそう呼んでいた)の姿だ。

しかし、ディズニー・ランドが成功したら、まわりの地価がドーンと
値が上がって、不動産業者だけが大儲けをした。

残念ながら、ウォルトはお金が無くて、周りの土地が全く買えなかった。
だから、まわりにディズニーが嫌いな安っぽいホテルが山ほどできて
売春婦まではびこる、とんでもない事態になった。

⇒オープンの日にも、3分の1しか完成しておらずに、水やガスも出ない。
散々な初日だった、という。

●そこで、2回目の挑戦。
1970年代にフロリダに、ディズニーワールドを作った。
ディズニ―ランドのまわりは、森、湖、キャンプ場があったが
ディズニーが買うまで沼地だったような場所で
全く人の住めないところだった。

ところが、ディズニーは、どんなにお金がかかろうが
ディズニ―の周りにマンションを建て分譲を行った。
周りの地価が上がるから、テーマパークより、儲かる。
これを初めて発見した、ディズニーが発明したのだ。

●その成功があるからこそ、日本のディズニーように、すでに人が住んでいて
そこにディズニ―が出来てもそれほどうまみがないと思った。
だから、ライセンスでいいよ。
失敗しても、困らないし成功すればライセンスフィーが入るし。
というものにした。

⇒これをパクったのが、長崎のハウステンボス。
この手法を真似したが、肝心のテーマパークが人気がなくて失敗した。

⇒ウォルトは最初ニューヨークでアニメを作っていたが
ニューヨークにはライバルが多すぎた。

例えば、スーパ―マンとか・・・逃げるようにして、ロサンゼルスに行った。
実は、ウォルト・ディズニ―にはアニメづくりでは、負け犬的な所がある。
最初にやっていた、ウサギのオズワルドもウサギが使えなくなり
ネズミを使って、声優も使えなくて
自分自身で裏声で「やあ!ミッキーだよ」とか言っていた。
失敗の歴史がある。
そこで、遊園地のディズニーランドを作ることで新たな先駆者となれた。

⇒余談ですが、ヨーロッパの人はディズニーは好きではないという。
ヨーロッパのグリム童話とかを砂糖に包んでハッピーエンドに見せる。
まるでアメリカ産のようにしているので、反感が強いようだ。

⇒小生の娘一家はディズニー大好きで、度々宿泊に行っている。
 先日、「ジャングル・クルザー」に乗っていたら
娘と孫二人以外はみんな外国の人だったようだ。
「クルーザースタッフの日本語説明分かるのかな?」
と要らぬ心配をしていた。(笑)

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